阪神の時期監督候補の赤星憲広とは?タイガース歴代1位の盗塁王

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阪神の次期監督候補は?

元阪神タイガースで現在はスポーツコメンテーターをしている赤星憲広さんです。

2000年ドラフト4位で阪神に入団した時は、野村監督の下で4年連続最下位でした。

人気面で神レベルを誇っていた新庄選手が海を渡り、話題性も実力も抜け殻のようになってしまった阪神に来て、赤星選手は1年目から躍動し、チームは最下位の中、セ・リーグ盗塁王、新人王、ゴールデングラブ賞を獲得し阪神ファンに希望の光を見せてくれました。

もともと無名でしたが、野村監督はドラフトの時から目をつけていて「絶対に赤星を取れ、責任はわしが負う」。

やはり、名将の眼力通り赤星選手は5年連続で盗塁王を取り続け 当時の盗塁の概念を大きく変えました。

当時は松井秀喜選手のような豪快なホームラン、イチロー選手みたいな全てを超越したプレイが目だち、憧れていましたが、そこに赤星選手は盗塁という代名詞を引っ提げて野球ファンの楽しみを一気に増やしてくれました。

バッティング

他にも、バッティングでのいやらしいスタイルは超一流でした。

バッターボックスでわざとカットでファールを連発して、とにかく相手ピッチャーにボールを投げさせまくる。

1球でも多く投げさせる事は、肩を疲れさせるのと、守備人の疲れにも影響させる狙いと共に味方ピッチャーに1秒でも多く肩を休めさせる狙いがあるからです。

当時の阪神にはこうした得点シーン(先頭赤星が四球で出塁、盗塁で2進、送りバントで3進、犠牲フライで生還)ノーヒットでの得点が売りでした。

塁に出てからのプレッシャー

さらに塁に出ても代名詞でもある盗塁は相手バッテリーからしてもプレッシャーを与え、牽制球でくぎ付けにするしか対処が出来ません。

この牽制球 赤星選手は「牽制球をもらった」という表現をしていました。

牽制球は投球回数に含まれないため、赤星選手が塁に出るたびにピッチャーは実際の投球数よりも多くボールを投げていたわけです。

一撃必殺で倒すタイプではなくじわじわと相手を追い詰める、このいやらしいバッティングは後に多くの選手が取り入れています。

168センチとプロ野球選手にしては小柄な体でグラウンドを必死で駆け回る姿は走塁、盗塁にとどまらず。

センターという広い守備範囲を任され、その打球に早い判断で多くのヒットをその瞬足でアウトにして球場のボルテージをあげていました。

1年目からゴールデングラブ賞を取ったのも納得が出来ます。

3割バッター

当時星野監督は「赤星が3割打ったらやばいぞ」と言ってました。

その通り、赤星選手が3年目の2003年 3割に到達と並行してチームは18年ぶりの優勝を決めました。

20勝したエースの井川選手など、多くの選手が自己最高の成績を残しました。

星野監督の言葉通り、赤星選手の成績は直接チームの成績につながるという事です。

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几帳面な性格

さすがという面は試合だけでなく、優勝した時の旅行先での話です

みんなが羽目を外してビールを飲んでいる中、赤星選手はみんなを無事に部屋に送り届けるためにお酒は控えては時々みんなの様子を見て回っていました。

その几帳面な性格には首脳陣からも絶大な信用があり後に選手会長もしていました。

ただ、几帳面すぎていまだに独身なのは番組でもよくいじられています。

芸能人にも多くの友達がいて人気ものですね。

若くして引退

阪神タイガースは2年後の2005年にも優勝して常勝チームとなり、きりこみ隊長の赤星選手とともにチームを変えたのは主力の金本選手でした。

鉄人と呼ばれ連続フルイニング出場は世界記録で、骨折しても片手でヒットを打ったのはプロ野球ファンには有名な話です。

金本選手の決して休まない姿勢は阪神の多くの選手に影響され、2005年当時新人だった鳥谷選手が連続出場の鉄人を継承するなどチームには強い雰囲気があふれていました。

赤星選手も同じように怪我をしても試合に出続けるスピリッツがあふれていましたが、そのツケが回ってきました。

脂ののった20代後半では、腰を傷めながらも強行突破で試合に出ていましたが、センターでの守備でのダイビングキャッチの際決定的に壊してしまい担架で運ばれてしまいました。

かなりの重傷で、これ以上はドクターストップがかかってしまい30歳という若さで無念の引退を強いられました。

車椅子の寄付

盗塁が代名詞の赤星選手は、自身の盗塁の数分を全日程終了時点で車いすを全国に寄付する活動を続けていました。

通算して250個もの車いすを様々な施設に寄付していました。

選手会長時代には甲子園の改装工事を志願してもっと多くの車いすのお客様も観戦できるように車いすシートを増やすなどこだわりの運動をしていました。

晩年、怪我をしながらも1台でも多くの車いすを寄付するために体に鞭打って走り続けました。

頑固な性格はもうだれにも止められなかったでしょう。

医者からはこれ以上試合に出れば自分が車いすの世話になると断言され涙の引退会見となってしまいました。

その後は本を出したり、スポーツコメンテイターとしてテレビでよく見かけます、

引退して10年経った今でもコーチは無理できないとしてテレビで解説という仕事で野球の発展に貢献しています。

自身が経営するレッドスターベースボールクラブでは未来の野球少年にかけています。

彼のプロ野球に対する貢献度は大きいと思います。



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